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大阪高等裁判所 昭和42年(う)1099号 判決 1969年7月10日

被告人 岡島次郎

主文

原判決中有罪の部分を破棄する。

被告人を懲役六月及び罰金二〇万円に処する。

但し本裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

右罰金を完納することができないときは金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

被告人から金三三〇万円を追徴する。

原審における訴訟費用中証人栗田啓一郎、同臼井京士、同鷹柳明雄、同美山要蔵、同山根治己に支給した分及び当審における訴訟費用中証人野海勝視、同牛丸義留に支給した分は被告人の負担とする。

本件公訴事実中昭和四〇年四月六日及び同年六月一六日起訴にかかる被告人が昭和三九年四月七日頃から同年八月六日頃までの間前後二八回にわたり他人が税関の許可を受けないで輸入した金地金合計三一キログラムをその情を知りながらその都度蔵置して保管したとの点(原判示第二事実)については被告人は無罪。

判  決

本件控訴の趣意は弁護人中村又一、同田川和幸、同小沢茂、同守屋典郎作成の各控訴趣意書にそれぞれ記載のとおりであるからこれらを引用する。

各論旨は多岐にわたり、その間には必ずしも統一が見られないけれども、これらを総合すると要するに、原判示第一事実については、一、同事実に適用せられた罰則規定たる薬事法八四条二号、一二条一項の規定は憲法三一条に違反する。二、本件歯科用金地金五グラム鈑は薬事法にいう医療用具に該当するとして有罪の言渡しをしたのは事実誤認ないし法令の解釈適用に誤りがある、というのであり、原判示第二、第三の各事実については一、原判決が証拠能力のない栗田三郎の検察官に対する供述調書及び被告人の大蔵事務官、司法警察職員及び検察官に対する各供述調書を有罪認定の資料としたのは、その訴訟手続に法令違反がある。

二、原判決が本件の金地金が税関の許可を受けないで輸入したいわゆる密輸品であると認定したのは、採証法則に違背する事実誤認がある。三、原判示第二事実は本来一罪であるのに「その都度蔵直し」たものと認定し併合罪として処断したのは事実誤認ないし法令適用の誤りがある。四、本件金地金は関税法一一二条三項にいわゆる「貨物」に該らないのに原判決が同法条を適用処断したのは法令適用に誤りがある。五、原判決は本件金地金の追徴額を算定するについて関税法一一八条二項の適用を誤つた違法がある(憲法三一条違反をも主張するけれどもその実質は単なる法令違反であると解する)、というのである。そこで順次判断を加える。

第一、原判示第一事実に関する論旨について

一、憲法違反の主張(小沢弁護人の控訴趣意第一点の二の(一)(二)(四)及び三、田川弁護人の同第六、守屋弁護人の同二の(1)、中村弁護人の同第三点)について

論旨は(一)原判決が原判示第一の事実に適用した薬事法八四条二号、一二条一項によれば、同法違反の対象は医療用具等の製造にあるところ、右医療用具の定義は同法二条四項に定められており、これによれば「人若しくは動物の疾病の診断、治療若しくは予防に使用されること、又は人若しくは動物の身体の構造若しくは機能に影響を及ぼすことが目的とされている器具器械であつて、政令で定めるものをいう」とされている。この規定は前記八四条二号、一二条一項との関連において刑罰法規となるのであるが、刑罰法規として犯罪の構成要件が極めて不明確であるばかりか、右の医療用具の具体的内容規定を政令に委任し、政令によつて犯罪の構成要件を定めており、しかも政令において法律の委任の範囲を超え器具器械とはいえない歯科材料をも医療用具として掲げているほか、右歯科材料のうちの歯科用金属の具体的内容を法規ではない厚生省薬務局長の通知により明らかにしている。右は罪刑法定主義に関する憲法三一条に違反するほか憲法七三条にも違反し無効である。(二)金の売買が一般に禁止されていた当時においては、歯科用金地金は国民生活上欠くべからざるものとしてその一定量を確保し、免許を受けた者に歯科用五グラム鈑製造の自由を許すことに意義があつたけれども、金地金売買の禁止が解かれて自由となつた現在においては、もはや金地金に関する限り歯科用としても自由に買入れが可能であるから右歯科用の五グラム鈑に限らず、その製造を許可にかからしめ罰則をもつて規制することの合理的根拠を欠き、憲法三一条に違反する、というのである。(なお田川弁護人は弁論において憲法二二条にも違反する旨主張するけれどもこれは控訴趣意の範囲外に属する。)

よつて先ず(一)の所論について按ずるに、薬事法八四条によると「次の各号のいずれかに該当する者は三年以下の懲役若しくは二十万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する」とし、その第二号において「第十二条第一項の規定に違反した者」と規定し、右一二条一項によると「医薬品………又は医療用具の製造業の許可を受けた者でなければそれぞれ業として医薬品………又は医療用具の製造(小分けを含む………)をしてはならない」としその二項において「前項の許可は厚生大臣が製造所ごとに与える」と規定している。一方同法二条四項において右医療用具の定義を規定し「この法律で「医療用具」とは人若しくは動物の疾病の診断、治療若しくは予防に使用されること又は人若しくは動物の身体の構造若しくは機能に影響を及ぼすことが目的とされている器具器械であつて、政令で定めるもの」とされ、その具体的内容の決定を政令に委任している。のみならず、「医薬品」の定義を規定した同条一項の二号において、右器具器械の中に、歯科材料、医療用品及び衛生用品をも含むものとして特に括弧内においてこのことを明らかにしている。そして政令である薬事法施行令一条によると「薬事法第二条第四項に規定する医療用具は別表第一のとおりとする」と規定し、その別表第一には「器具器械」「医療用品」「歯科材料」「衛生用品」等を挙げ、右の「歯科材料」としては一として歯科用金属、二として歯冠材料、三として義歯床材料等九種類が挙げられている。これらの規定によると薬事法八四条二号違反の罪は厚生大臣の許可を受けないで歯科用金属、歯冠材料等の歯科材料を含む医療用具を業として製造することをその構成要件とするものであることが明らかである。もちろん右の歯科用金属とはいかなる金属を指すかについての解釈の問題は残るにしても、これを特に一般の意味とは異なつた意味に用いたものとは考えられず、又これを解釈するについて特別の知識を必要とする専門的用語ともいい難いから、右の各規定は所論のように刑罰法規としてその構成要件が不明確であるとはいえない。この点の所論は採用できない。

ところで所論は右刑罰法規の定め方は憲法三一条及び七三条に違反すると主張する。なるほど憲法三一条は何人も「法律の定める手続」によらなければ刑罰を科せられることはないとして罪刑法定主義の原則を明らかにしていることは所論のとおりである。したがつて刑罰法規は原則として国会の定めた形式的意味の法律によらなければこれを規定することはできないのであるが、しかし刑罰法規はすべて法律それ自体の中に規定されなければならないものではなく、憲法七三条六号但書の規定からもうかがわれるように、例外的に特にその法律の委任がある場合には、政令をもつて罰則規定(犯罪構成要件及び刑を定める法規)を設けることが認められているのである。しかしそうだからといつて政令に全面的な白紙委任をすることはもちろん、政令において法律の委任した範囲を逸脱して規定を設けることの許されないのはいうまでもない。そこで前掲医療用具の製造に関する罰則規定をみるとさきに示したとおり法律において医療用具の定義を掲げ、その具体的内容の決定を政令に委任している点からみて政令によつて犯罪の構成要件が定められているものということができるけれども、このことは前説示のとおり憲法七三条六号但書により認められているところであるから何ら罪刑法定主義の原則に反するものではない。また右の政令に委任するについても「医療用具とは人若しくは動物の疾病の診断、治療若しくは予防に使用されること又は人若しくは動物の身体の構造若しくは機能に影響を及ぼすことが目的とされている器具器械であつて政令で定めるもの」と定義し、ただその規定のみを委任しているに過ぎず、決して全面的に白紙委任をしているものではなく、さらに政令(薬事法施行令)においても、さきに示したとおり法律により委任された医療用具の具体的内容を規定したに止まつているのである。

所論は、歯科材料は器具器械(医療用具)とはいえないのに政令においてこれを医療用具として規定したのは授権の範囲を逸脱すると主張するけれども、さきに説示したとおり法律において右器具器械の中には特にこれとは異質とも認められる歯科材料をも含む旨の規定を設け所論のような疑いを解消しているのであるから、政令において医療用具の一として歯科材料を掲げたからといつて、これをもつて法律の委任の範囲を逸脱したものとはいえないのはいうまでもない。なお所論は「厚生省薬務局長の通知」をもつて歯科材料のうちの「歯科用金属」の具体的内容を明らかにしているのも罪刑法定主義の原則に反すると主張する。行政官庁が所管の諸機関及び職員に対して命令又は示達するための訓令又は通達(国家行政組織法一四条二項)は憲法上に何らの根拠もなく、ただ上級の行政庁の下級の行政庁に対する法令の解釈、運用方針又は事務取扱基準たる性質を有するものであつて、法令とはその性質を異にするものであることはもちろんである。所論の「医療用具の取扱いについての薬務局長通知」(昭和三六年七月八日薬発第二八一号各都道府県知事あて厚生省薬務局長通知)もこれと同様のものであることは所論のとおりである。したがつて、同通知において医療用具の範囲を定めた別紙1の中で歯科材料のうちの歯科用金属の具体的内容を明らかにしているとはいえ、これはその標題からも明らかなようにただ各都道府県知事に対して医療用具の取扱いについての基準を示したに止まるもので罰則規定とはいえず、固よりこれに拘束されるものではないから、右「通知」をもつて歯科用金属の具体的内容を明らかにしたとしても何ら罪刑法定主義に反するものではない。(しかしそうだからといつて右通知は全く無意味というものではなくこれを法令の解釈についての資料とすることは別問題であつて何ら差支えないものというべきである。)

以上のとおりであるから、前記罰則規定には所論のような構成要件に不明確な点はなく、又憲法三一条、七三条六号但書に反するところはない。(一)の論旨は理由がない。

次に(二)の所論について考えてみると、当審証人野海勝視、同牛丸義留の各証言によると、なるほど「金」は昭和二八年七月までは国内産金はすべて政府に売渡すべきものとされ、ただ歯科用(工業用も)については政府から厚生省を通じて歯科医師に割当配給されていたところ、右の昭和二八年七月に至りそれまで施行されていた貴金属管理法が廃止されるとともに、金管理法が全面的に改正され金は政府が買入れるべき分を除いて他は自由取引が許されることになつたことに伴い、右の歯科医師に対する割当配給制度も廃止されるに至つたこと、そのためその後は歯科用の金地金の製造に関する限り、これをなお厚生大臣の許可を存続することの定義は、右の金地金の割当制度がとられていた当時に比べてその重要性は薄らいでいることは否めない事実であろう。けれども一方右証人の各証言によつて認められるように金地金は歯科衛生材料としては貴重な存在であり、それが歯科医療の面において果たす役割は無視できないものがあるので「金」の自由取引が許されたのちにおいてもなお薬務行政を担当する厚生省としては歯科医療の面における金地金の重要性にかんがみ、将来これの流通が阻害される事態に備え、歯科医師の需要を確保する意味においてこれを衛生材料(歯科材料)として医療用具のうちに取入れ、その製造については他の医療用具と同様厚生大臣の許可を要する等その行政的監督、指導の下においたものであり、また他方、それが歯科医療用としては口腔内に装着して使用される(前掲薬務局長通知にも薬事法施行令において歯科材料として掲げた歯科用金属、歯冠材料等五種類のものは口腔内に装着されるものとして分類されたとされている。)ことにかんがみその品位を確保して保健衛生面における危害を防止する見地からも、その製造について前記許可制度を存置する意義が存するのであつて、このことは医療用具の製造については、その製造所の構造設備が薬局等構造設備規則(昭和三六年厚生省令第二号)に定める基準に適合しないときは許可を与えないものとする等その許可基準を厳格にして(薬事法一三条二項)、その監督、指導の措置を講じていることからも十分これをうかがうことができるのである。してみると、歯科医療用の金地金の製造について、なお許可制を存置し、これを罰則を以て規制することにも意義があり所論のようにその合理的根拠を欠くものとはいえず何ら憲法三一条に違背するものではない。論旨(二)も理由がない。

二、事実誤認の主張(小沢弁護人の控訴趣意第一点の二の(三))について

論旨は、原判決は本件の歯科用金地金五グラム鈑を薬事法一二条にいう医療用具に該当すると認定したけれども、右五グラム鈑は薄い金地金を五グラムの量に切つた片に過ぎず器具器械(医療用具)に該当しないというのである。

よつて按ずるに、医療用具には歯科材料をも含むものであること、又歯科材料の中には歯科用金属が含まれることはさきに説示したとおりである。ところで、一般に金地金というのは純金を意味するものとされているのであるが、これが歯科医療のために用いられていること(それがその儘あるいは他の金属元素を添加した金合金として)は今さらいうをまたないところであり、したがつて歯科用金地金が歯科材料のうちの歯科用金属に該当することは自明の理である。前記薬務局長通知において歯科用金属の中に歯科用金地金を含ましめているのも蓋し当然のことであつて、右通知においてこれを示すことによつてはじめて歯科用金属となるものではもちろんない。そして本件歯科用金地金五グラム鈑が薄く圧迫された金地金を五グラムの方形に切断されたものに過ぎないことは所論のとおりであるけれどもそれが歯科材料として用いるために特につくられたものである以上右の歯科用金属に該当するものというべきが相当であるから右歯科用金地金五グラム鈑が薬事法にいう医療用具に該当することはもちろんであつてこれに反する所論は採用できない。論旨は理由がない。

第二、原判示第二、第三事実に関する論旨について

一、訴訟手続の法令違反の主張(中村弁護人の控訴趣意第一点田川弁護人の同第三、守屋弁護人の同三)について

論旨は、原判決は栗田三郎の検察官に対する各供述調書及び被告人の司法警察職員、大蔵事務官、検察官に対する各供述調書を被告人の有罪認定の資料としているけれども、(一)栗田三郎は当時長男富一、二男啓一郎と共に逮捕されて大阪市内の警察に勾留されていたため妻は殆ど大阪に来ており、東京の留守宅は幼い子供たちばかりであつたところから、一四八〇万円の銀行預金及び貴金属類を詐取されたばかりでなく、大阪に来ていた妻までが昭和四〇年三月一二日交通事故により重傷を負い入院する不幸が重なり、これを知つた栗田三郎も疲労困憊の極に達し、不眠に陥つたばかりか、銀行預金等を詐取したのは岡島次郎(被告人)と称する者であることを聞知し、それを被告人と錯覚してその憎悪心から被告人との金地金五キログラムの取引を供述したところ、取調べに当つた警察官からそれはヤミ金だといわれこれに迎合してその旨の調書がつくられたが、それも留守宅の被害、妻の入院等で心配の余り保釈を許可して貰いたい一念から出たもので固より任意性はなく、検察官に対する供述も右の警察における供述を基礎とするものでこれと異なる供述をする余地があつたとは考えられず、少くともその供述の任意性に疑いがあるのみならず、右供述は同人の公判準備における供述に比し特信情況が存在しないから証拠能力を具備しない。(二)被告人は昭和四〇年三月一六日密輸金の保管容疑により逮捕、勾留され、同月中大阪十三橋警察署に、四月に入り東警察署に移監され、その間勾禁性精神症状となり身体の衰弱が著しく取調官から陳子鵬との金地金取引の多量でかつ安価であるから不正品に違いないと厳しく追及され自白を強要されたため精神的、肉体的苦痛に堪えかね保釈を得たい一念から右取引について不正な外国製金地金であるかも知れない旨の自白をするに至つたが、右自白は被告人が不当に長く抑留又は拘禁されたのちの自白であり、又少くともその自白の任意性に疑いがあるからいずれも証拠能力はない。したがつて原判決にはその訴訟手続の法令違反があるというのである。

(一) そこで先ず栗田三郎の各供述調書について考えてみると、所論は同人の検察官に対する供述の任意性を欠く理由として、警察における取調べの段階で留守宅における詐欺の被害及び来阪中の妻の交通事故に因る入院等のため精神的打撃をうけたことと、保釈を得たい一念から取調官に迎合して供述し、検察官に対する供述もこの警察における供述を基礎としてなされたものであるというのであるが、記録によると同人の警察においてなされた各供述調書はいずれも刑事訴訟法三二八条により同人の公判準備における証言の証明力を争うために提出されたものであり、しかも原審においてその取調請求に対しては弁護人よりその任意性を争つた形跡はなく、又検察官調書についてもただ特信性を争つただけで任意性を争つていない。のみならず同人に対する捜査官による取調べの経過について調査すると、同人は昭和四〇年三月二日関税法違反容疑により逮捕、勾留され、同月二三日起訴があり、次で同年四月二日保釈されたものであるが、同人が勾留された当時長男富一、二男啓一郎も共に同様容疑により勾留されており、そのため妻と年少の子供のみが東京の留守宅を守つていたところ、同年三月三日頃岡島次郎と称する者により多額の詐欺被害に遭つたことを同月七日頃知り、さらに同月一二日頃妻が交通事故に遭い入院したことを翌一三日頃に知つたことが認められる。そうすると同人がそのため精神的にかなりの打撃を受けたであろうことは十分推察できるところであり、又記録によると一部ではあるが所論の被告人との金地金の取引と共にそれが密輸品である旨の自供が司法巡査に対してなされたのは同月一三日であつて、その後同月二二日には本件の取引を全部自供し、さらに同月三一日に至りあらためて本件金地金の密輸品であると考えた理由について詳述し、一方右と並行して行われた検察官の取調べに対しても同月一八日本件の取引の全部について同様自供していることが認められる。してみると、栗田三郎の自供は前記詐欺被害及び妻の交通事故に因る入院の事実を知つたのちになされていることは明らかであり、このことに因る精神的打撃が右の自供に影響を与えていることは否めない事実であろう。しかし右自供はすべて自分の作成した手帳にもとづいてなされた根拠のあるもので十分その真実性が裏付けされているばかりでなく、同人の取調べに当つた司法巡査において、特に同人の右の精神的打撃を受けたことを利用して自白を強要した事跡は記録上これをうかがうことができないから、仮令同人が右精神的打撃に因り拘束を解かれたい焦躁感にかられて自供したものであつたとしても、それは外部的圧迫に因る精神的苦痛の結果というべきではなく、同人の自発的意思決定にもとづくものということができるから、右司法巡査に対する自供は信用性の有無はともかく任意性を欠くものとはいえないこのことは、同人が保釈を許されたのちにおいても司法警察員に対し前記自供を維持し、その真実性を確認していることからも明らかであるのみならず検察官に対する供述にもその任意性を疑わせるような事由は記録上認められない。したがつて右の所論は採用できない。

次に所論は同人の検察官に対する自供には特信性がないというけれども、その原審証言と比較しかつ、右供述内容ならびに他の関係証拠と照らし合わせ、右供述の特信性は十分認められるからこの点の所論も採用できない。

以上のとおりであるから、原判決が右栗田三郎の検察官調書を証拠として採用したことには何ら所論のような訴訟手続の法令違反はない。

(二) 次に被告人の各供述調書について考えてみると、所論は、被告人の捜査官に対する各供述はその任意性に疑いがあるというのであるが、その趣旨は原判示第二事実に関する供述をいうのではなく原判示第三事実に関する供述についてこれを争うものであり、したがつて、原判決挙示の各供述調書中被告人に対する大蔵事務官の昭和四〇年四月二一日付(第六回)及び二三日付(第八回)、司法警察員に対する同月二〇日付、二二日付、二三日付、検察官に対する同月二八日付各供述調書(謄本を含む)中の供述の任意性を争うものと解せられる。しかし記録によれば、原審においては他の供述調書と共になされた右の各供述調書の取調請求に対しては、弁護人はただその供述の信憑力を争つただけで任意性を争つた形跡は全くない。のみならず、他の各供述調書を含めその全供述内容を具さに検討すると、栗田三郎との取引に関しては捜査官に対しその僅か一部を認めただけでさきに述べた栗田三郎が被告人との取引を全面的に自供しているのにも拘わらず終始これを否認しながら、原判示第三の陳子鵬との取引に関してはその取引の経緯、状況、それが密輸品であることの知情の点についても極めて詳細にかつ具体的に供述していること、また所論のような自白の強要その他自白の任意性に疑いを抱かせるような事情があつたことは記録上うかがうことができないことに徴し、その供述には所論のように任意性に疑いがあることはとうてい認められない。又被告人の各自白は被告人が関税法違反容疑により逮捕、勾留されたのち約一ヶ月後になされたものであることは記録上明らかであるけれども、本件事案の内容、その捜査の経過に徴し、所論のように不当に長く抑留されたのちの自白とは認められない。

してみると原判決が被告人の前掲各供述調書を証拠として採用したことは相当であつて、所論のような訴訟手続の法令違反はない。

論旨はいずれも理由がない。

二、事実誤認の主張(中村弁護人の控訴趣意第二点、田川弁護人の同第一、小沢弁護人の同第二点、守屋弁護人の同三)について

論旨は、原判決は被告人がその肩書住居に蔵置し(原判示第二事実)あるいは陳子鵬から買受けた(原判示第三事実)各金地金は、いずれも税関の許可を受けないで輸入したいわゆる密輸品(以下単に密輸品と称する)である旨認定したけれども、右各金地金が密輸品であることの証明はないし、被告人もそれが密輸品であることの認識は全くなかつたのであるから、原判決の右認定は証拠の証明力の判断を誤り事実を誤認した違法があるというのである。

(一) そこで先ず原判示第二事実について考えて見るに、

被告人が原判示の期間前後二八回にわたつてその肩書住居において栗田三郎に対し原判示金地金合計三一キログラムを売渡したことは被告人においてもこれを争わず、また関係証拠就中栗田三郎の犯則事件の証拠物件たる手帳写真によつても明らかなところである。とすると少くとも被告人が右三一キログラムの金地金をそれが何時どのようにして入手したものであるかはともかく当時右自宅に保管していたもの(しかしそれが一括保管されていたものか、あるいは原判示のようにその都度保管していたものかは証拠上必ずしも明らかでない。)であることは否定できないのである。問題は右金地金が密輸品であるか否かにあるのであるが、検察官は右金地金密輸品である理由として、(1)値が格安であること、(2)量が比較的多く、かつ定量であること、(3)正規の割当量は少量で自己使用分(五グラム鈑製造)にも不足すること、(4)右金地金の買先が明らかでないこと等を挙げているのである。これに対し所論は、密輸品であることを争い、本件の場合これを証明するに足りる資料はない。すなわち当時いわゆる市中金が相当量、安価に出廻つており、被告人もかかる市中金のほかいわゆる換金物を安価に買入れることも可能であつたこと、その買入先も明らかであること等を考慮すると、検察官主張の理由のみによつては本件金地金が密輸品であると断定することはできないというのである。

当裁判所は次の理由により本件金地金が密輸品であることの疑いは極めて濃厚であるが、しかしそのうちには弁護人所論のような密輸品でない金地金が一部混入している可能性を否定することができず、そのすべてが検察官のいうように密輸品であるとは断定しがたいのである。

すなわち、記録を精査し関係証拠、ことに大蔵省国際金融局企画課長の「金地金の輸入状況について」の回答書、大蔵省理財局総務課の「金地金の生産及び売渡し状況について」の回答書、大蔵事務官古川正、工藤健太郎両名あるいは工藤健太郎作成の各「調査報告書」添付の「日本貴金属新聞(昭和四〇年五月五日付)、「金属特報」(昭和四〇年三月三一日、同年四月七日付)「時計美術宝飾新聞」(同年四月一日付)、大阪税関監視部審理課長の証拠品提出書添付の「金属特報」(昭和三九年一〇月二四日付)ならびに原審証人青柳登喜雄、同松村伊助、同永井嗣久、同尾崎平太郎の各証言徳力商店の昭和三九年度「宝石材料、仕入材料元帳」の写、押収にかかる仕入帳(昭和四二年押第三〇〇号の五)等を総合すると、昭和三八年、三九年中に金地金が海外からわが国に輸入することが許可されたことはなく、本件の昭和三九年当時わが国に流通していたと見られる金は、(1)国内の三井、三菱、住友等の鉱山から産出する新産金、(2)金歯、指輪等の金含有の屑物を精錬した再生金あるいは換金物の金地金等のいわゆる市中金(回収金ともいう)、(3)密輸金、(4)検察庁より払下げられた押収にかかる密輸金等であるといえるのである。そこで先ずその量の点をみると、(1)の新産金は前記三井、三菱等全国一二の鉱山会社より年間合計約十数トンが生産され、そのうち五パーセントを政府が買上げ、残りが国内消費に廻されることとされており(因みに昭和三八年度についてこれを見ると、生産量は一一、三六三、一八五グラムで内政府買上げは五〇一、三二二グラム、鉱山会社の自家消費を含め国内消費に廻されたものは一〇、八〇九、七八七グラムとされている)、また(2)の市中金はその量必ずしも明らかではないが年間約五トンと推定されており、(このことは昭和三九年頃において東京の大手の業者である徳力本店では月額約五〇キログラムを買受け、また東京の同様業者松村金銀店では二貫ないし三貫(七・五ないし一一・二五キログラム)買受け、さらに大阪の永井貴金属工業株式会社でも月額地金換算で六ないし八キログラムを買受けていることが認められるほか、被告人と取引のあつた前記栗田三郎も月四キログラム位を取扱い、被告人自身も僅かながら毎月屑金を買受けていたことからもそれがうかがわれる)、次に(3)密輸金については当時の金の需要が年間二二・三トンにものぼるものとみられているところから、以上の新産金及び市中金のみによつてはその需要を充すことのできないことは明らかであり、したがつてその不足は密輸金に依存していたことが考えられてくるのであるが、その量については月間一五〇ないし一八〇キログラムとするもののある反面、これを五〇〇キログラムはあるとみるものもあつて、必ずしも明らかではない。しかしこの密輸品の存在は無視しがたくそれの国内消費量において占める比率は相当大なるものがあつたのは否定することのできない事実であろう。さらに(4)の払下金については、東京地方検察庁においては昭和三八年、三九年当時、密輸金の払下げは行つていないのでその国内流通量は明らかではないが、昭和四〇年中に行われた払下げ量が約一九八キログラム程度であることからみて、その流通量は他の検察庁において払下げが行われていたとしてもさほど問題とするほどの量ではないことがうかがえるのである。してみると当時国内に出廻つていた金は主として新産金、市中金及び密輸金であつたということができる。

次に価格の点についてみると、新産金のうち政府が買上げるべき金地金は一グラム四〇五円(金管理法三条一項、四条、同法施行令二条国際通貨基金協定四条参照)とされ、これを除いて国内消費に廻される金地金は公定価格ではないけれども政府の指導によりその価格は全国的に統一されていて一グラム六六〇円で、貴金属地金協会所属の石福金属興業、田中貴金属工業、徳力本店等二四社の大手金地金取扱業者(第一次問屋)に売渡され、同業者から金地金加工業者(第二次問屋)等に卸売される場合は一グラム六七〇円から六八〇円、小売される場合は一グラム六九〇円位とされていた、また市中金についてみると金地金取扱業者による買受価格はその需給状況により、また金地金そのものか、あるいはいわゆる潰し金かによつて必ずしも一定していなかつたけれども、一グラム六〇〇円から六六〇円位で取引されていたもののようである。しかしそれも時には五四〇円から五九〇円位で取引されていたこともあり、ことに屑金を買受ける場合はこれを分析、精錬しなければならないことから、その費用を見込んでその基準をさらに安くして買受けていたようである。さらに密輸金についてみると、昭和三八、九年頃は密輸金が大量に出廻つていてそれが安価に取引されていたため、正規の割当てによる金地金に対する需要が減り地金取扱業者は金が売れなくて困り警察当局に密輸の取締りを陳情するような状況で、これを反映して、前記市中金よりなお安価に取引されることもあつたことが認められる。

ところで本件の場合について考えてみると、本件は昭和三九年四月七日から同年八月六日にわたつて取引が行われたものであるが、その取引価格は一グラム四九六円ないし五四九円三〇銭であつて、前記新産金等の価格に比べて極めて安価でしかも取引の都度それが異なつているばかりか後のものが前のものより安価であつたり、あるいは同じ日に二回も取引が行われ、しかもその価格まで異なつている(原判決添付一覧表2、3及び10、11)こと、またその取引量においても四月は七キログラム(合計量、以下同じ)、五月は一一キログラム、六月は一〇キログラム、七月は激減し二キログラム、八月も同様一キログラムというのであつて、被告人が当時割当てを受けていた月五〇〇グラムと比べて、他に市中金を買受けていたことを考慮に入れても極めて多量かつ定量であり、また七、八月に激減したのも恰も業者の陳情により警察による密輸の取締りが漸く厳しくなつて来た頃であつたこと、本件金地金の取引に当つては、被告人はその殆どを自ら熔解して一定の型(一キログラムの板状)にして圧延業者に圧延して貰つたうえ引渡しており、しかもそれが何処で圧延されたかも明らかでなく(当審証人本田栄一の証言によつてもこの点は明らかではない)、その金地金の入手先も明らかでない。のみならず、本件取引に関しては被告人及び栗田三郎ともに正規の帳簿に全く記帳していないこと等を考え合せると、本件金地金は密輸品であることの疑いが極めて濃厚であるといえるのである。

もつとも原審証人中井広、同瀬崎義明の各証言及び同人らの被告人からの照会に対する各回答書によると、被告人は中井広から昭和三五年一二月及び昭和三六年三月一五日の二回に換金物の金地金計四貫目(一五キログラム)を一匁一八一〇円から一八五〇円(一グラム四八二円から四九三円)の割合で買受け、又瀬崎義明からも昭和三五年九月三〇日、昭和三七年四月、昭和三八年一〇月の三回に計六・五貫目(二四・三七キログラム)を一匁一八五〇円から一八六〇円(一グラム四九三円から四九六円)の割合で買受けたことが認められ、したがつてその量からみて本件金地金がその一部であるとの所論にも傾聴に値するものがあるともいえるのであるが、もともと金地金の取引を主とする商人が多額の資金を投じて入手したものをその後数年を経た本件当時までその儘保管し、その間の価格の騰貴及び利潤をも度外視して殆ど仕入値と同様の価格で売却することは通常考えられないところであつて極めて不合理である。そうすると右買受けの事実を以て本件金地金の密輸品であることの前記疑いを解く根拠とはなし難い。

しかしそうだからといつて、本件金地金がすべて密輸品であると断定するには、なお合理的な疑いが存するのである。すなわち、もともと金地金はそれが密輸品であるとあるいは国内産金であるとによつて、その品質、形状、圧迫の際に生ずる変化には特に異なつたところはないこと(原審の検証の結果)昭和三九年はわが国でオリンピツクが行われた年であり、それを契機に記念メダル用等の金の需要が急速に増加したのであるが、このような需要の増加があり、又さきに述べた事情で密輸の取締りが厳しくなるまでは密輸品が格安に出廻り、市中に金がだぶついていたのが実情で、そのため正規の割当てによる金地金も売れず、いきおい市中金も比較的格安に入手できたのが実情であつたこと、被告人は昭和三九年当時は日本貴金属協同組合から毎月五〇〇グラムをグラム当り六六四円で割当てを受けて買受けていたほか、その量は明らかではないが毎月僅かながら屑金を安価に買受け、これを水野貴金属会社等に分析、精錬を委託して金地金に精製し、あるいは換金物の金地金をも比較的安価に買受けていたこと、昭和四〇年三月一六日関税法違反容疑により被告人の肩書住居が警察官により捜索を受けた際、約二〇キログラムの国内金が発見されていること等が諸般の証拠により認められるのであつて、ことに被告人の自宅に右のように約二〇キログラムの国内金が保管されていたことは、被告人のいう日頃市中金等を買入れて保管していたということの裏付けにもなり、この点に関する被告人の弁解にも一応の真実性が認められる結果となるのであつて、これを虚偽であるとしてむげに排斥することはできないこと、被告人が栗田三郎との本件金地金の取引において、さきに述べたようにその殆どを自ら熔解した上一定量(一キログラム)の板状にして圧延(原審の検証の結果によりそれが可能であることが認められる)して引渡していることはそれが密輸品である疑いを抱かせる反面、屑金等を分析、精錬して得た少量の金地金を混合して一定量のものをつくるためであるとも考えられないことはなく、この場合仮に密輸金が混合されることがあつたとしてもその区別はつかないのであるから、仮に本件金地金の殆どが密輸品であつたとしてもその一部には格安の屑金を精錬して得た金地金が混入する可能性も十分考えられること。以上の各事実を彼此考え合せると、本件金地金はさきにも述べたように密輸品であることの疑いは極めて濃厚であるとはいえ、一部そうでないものも混入された可能性のある本件においては原判示の各金地金のうちのいずれが密輸品であつて、いずれがそうでないかを確定することは不可能であり況やそのすべてが密輸品であると断定することには躊躇せざるを得ないのである。結局本件金地金のすべてが密輸品であることについては、合理的な疑いをさしはさむ余地のないほどの確信を抱かせる資料はないというに帰する。してみると、原判示第二事実の金地金がすべて密輸品であるとした原判決の認定には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるといわざるを得ない。この点の論旨は理由がある。

(二) 次に原判示第三事実について考えてみるに

記録を精査し、関係証拠就中陳子鵬に対する大蔵事務官の質問調書(謄本を含む)、(中略)を総合すると、原判示事実は金地金の密輸品であることの知情の点を含めて十分これを認めることができる。

すなわち、陳子鵬はロビンソンと称する者から頼まれて本件金地金を被告人に売渡すに至つたものであるが、もともと右陳子鵬というのは、予てから密輸金を専門に取扱つていた林卓隆から頼まれて密輸金を売捌いていた者で、右林卓隆が香港に帰国したのち同人の紹介状を持つた右ロビンソンと知合い、同人から「今後林に代つて金地金を持つてくるから売捌いて欲しい」旨頼まれて、これを承諾しその売先を物色していたこと、そしてキヤバレーのホステスをしていた被告人の義妹から被告人が貴金属商をしていることを聞き、その紹介を受けて近付き、被告人に「金を買つてくれる」よう頼み、被告人も「質がよく安い物があれば世話して貰いたい」旨依頼していたこと、かくて陳子鵬は原判示の日ロビンソンから「品物が入つた」旨の連絡を受けるや、早速その旨被告人に電話で連絡し取引値段を取決め、その場所も打合せたのちロビンソンから本件金地金を受取り、被告人と原判示場所で落合つて代金二四六万六五〇〇円(一グラム四九三円三〇銭の割合)で売渡し、その場で代金の授受を了したこと、しかし被告人が陳子鵬と知合つた当時から同人は本名を名乗らず、ただ「ウシオ」と称するだけで住所も明らかにしようとせず、又被告人も特にそれを質そうともしないで取引に応じていること、本件取引についてもその場所を原判示場所近くの地下鉄末広町駅入口附近として同所で落合うこととし、被告人が自動車を運転して同所に赴き待合せていた陳子鵬をその自動車内に乗せてその裏通りの原判示場所まで運転して行つて自動車内で私かに取引をしていること、本件金地金の形状は陳子鵬が曾て前記林卓隆から売捌きを依頼されていた密輸金と酷似していたほか、被告人も右金地金を受取つた際その紙包みを破つてみて、その表面が汚れているうえ、叩いた傷跡が多くあり、しかもかすかながら英文字や数字が刻されていたのを確認していること、その取引価格も一グラム四九三円三〇銭というのであつて、さきに認定した当時の国内産金及び市中金の一般の取引相場に比べて著しく安価で、しかもその量も五キログラムという金地金の取引としてはまとまつた数量で稍々異例とも考えられること、被告人は右金地金を栗田啓一郎に売渡すに当つても、あらためて自らこれを熔解したうえ圧延(その圧延先も明らかではない)して引渡していること(このことは前示の如く同時に被告人の有利な事情ともなるが)本件の陳子鵬との取引及び栗田啓一郎との取引ともに被告人の正規の帳簿にその取引の記帳が全くなされておらず、領収証も作成されていないこと等が認められるのであつて、以上本件金地金取引に至る経緯、買受先、取引の状況、価格、数量、金地金の形状等に徴すると、本件金地金は密輸品であると断定するに合理的な疑いをさしはさむ余地はなく、また被告人も捜査官に対して自供しているように、右の情を知りながら買受けたことを認めるに十分である。

被告人の原審公判廷の供述中右認定に反する部分は他の関係証拠に照らしたやすく信用することができず、又原審証人武井外次郎同美山要蔵の各証言によつても右認定を左右することはできない。

してみると原判決には所論のような事実誤認はないからこの点に関する論旨は理由がない。

三、法令の適用の誤りの主張(守屋弁護人の控訴趣意二の(2)、田川弁護人の同第四)について

論旨は、関税法一一二条三項の罪は、密輸された貨物についてその情を知つて運搬等をすることを以て構成要件とするものであるから、同条の罪の客体は同法六七条により税関に申告し貨物の検査を経てその許可を受けなければならない貨物に限られるところ、金地金、金の合金の地金、流通していない金貨、その他金を主たる材料とする物は外国通貨その他の支払手段と同様通関手続上貨物として取扱われず、その許可手続を要しない。中でも金地金は外国為替及び外国貿易管理法(以下単に外為法と称する。)四五条によりその輸出入は一般には禁止され、外国為替管理令一九条一項により大蔵大臣の許可により例外的に輸出入できるものとされている。そしてその輸出入についての許可権限を有するのは大蔵大臣のみで税関はただその確認の権限を有するに過ぎない、したがつて税関の許可を受けないで輸入された金地金を運搬等しても関税法一一二条三項の構成要件に該当しない。しかるに原判決が被告人の原判示第二、第三の各所為につき同法条を適用したのは法令の解釈適用の誤りであるというのである。

よつて按ずるに、金が国際的支払手段であつて世界通貨ともいうべきものであることは所論のとおりである。しかしながら関税法三条によると「輸入貨物はこの法律及び関税定率法により関税を課する」旨規定し、関税定率法三条には「関税は輸入貨物の価格又は数量を課税標準として課するものとし、その税率は別表による」と定め同法別表輸入税表七一・〇七は「金(合金を除く)」を挙げそのうち「塊、片、粒、棒、形材、板及び帯」を無税としている。

してみると金地金は無税ではあるが関税法上貨物であることは明らかである。もつとも外為法においては金地金等の貴金属は支払手段等と共に一般の貨物から除外され(同法六条一項一五号)て別異の取扱いがなされているけれども、それは同法が「外国為替、外国貿易その他対外取引の管理を行うことを目的とする関係上、各その特性に応じた規制を加える必要があるからであり、これに対し単に関税の賦課徴収ならびに貨物の輸出入についての通関手続を定めた関税法においては右のような必要はないうえに支払手段等を除外する規定も存しないから外為法上貴金属等が特別に取扱われているからといつて、関税法ならびに関税定率法上もその適用を排除すべき謂れは全くない。しかも外国為替管理令一九条一項によれば、支払手段、貴金属等は大蔵大臣の許可を受けた場合にのみ輸入することができることとされており、又関税法七〇条によれば他の法令の規定により輸入に関して許可を必要とする貨物については輸入申告の際その許可を受けている旨を税関に証明しなければならない旨定めると共に、その証明がなされない貨物については輸入を許可しない旨定められているのである。

してみると金地金を輸入するについては、大蔵大臣の許可を受けなければならないと共に、税関に申告してその許可をも受けなければならない(外為法四五条、外国為替管理令一九条一項、関税法六七条)ことが明らかであるから、金地金が関税法上も貨物として取扱われず税関の許可手続を要しないとの所論はとうてい採用することができない。原判決が被告人の原判示所為(但原判示第二の所為は論外とする。)につき関税法一一二条三項を適用処断したのは相当であつて、原判決には所論のような違法はない。論旨は理由がない。

四、追徴に関する法令の適用の誤りの主張(小沢弁護人の控訴趣意第三点、田川弁護人の同第五、守屋弁護人の同二の(3)中村弁護人の同第三点(二))について

論旨は、原判決は本件金地金の価格を追徴するについて一グラム六六〇円を基準として追徴額を算定しているが(1)本件金地金は全く押収されておらず、それらがすべて純金であるか否かの証明もなされていない。(2)仮に純金であるとしてもそれが一グラム六六〇円であるという適法な証拠もない。(3)関税法一一八条二項の「犯罪が行われた時の価格」は通常国内卸売価格をいうものと解されているが、それが数種類ある場合、それが小売価格より高い場合にはいずれもその低い価格によるべきところその国内卸売価格は新産金の場合一グラム六六〇円の場合と五一八円(特価金)の場合とあり、一方市中金の場合五〇〇円から六〇〇円である。仮に市中金の右価格が卸売価格といえないとしてもかかる価格で流通する金地金が存在していたのであるからその最低価格によるべきである。(4)一グラム六六〇円とする価格はいわゆる独占禁止法三条に違反する価格であるからこれを基準とすることは許されない。(5)わが国は国際通貨基金協定(I・M・F協定)に参加しており同協定の加盟国として同協定四条により金の価格は公定されており、それによれば一トロイ・オンス三五ドルと表示され、これを登録された円の平価の米ドルでの表示一ドル三六〇円によると一グラム四〇五円となるから日本政府の金買入価格も一グラム四〇五円と定められている(金管理法四条、IMF協定四条、金買入規制一条、昭和二八年八月一日大蔵省告示)。したがつて関税法一一八条二項による追徴額も右価格によるべきである。以上のとおりであるから原判決が追徴額の算定につき一グラム六六〇円を基準としたのは関税法一一八条二項の解釈適用を誤つた違法がある。(なお小沢弁護人は憲法三一条違反を云々するけれども実質は単なる関税法一一八条二項の解釈適用の誤りを主張するものと解する。)というのである。

よつて按ずるに原判決が本件金地金を押収できないものとしてその価格を追徴するに当つて、一グラム六六〇円を基準としてこれを算定していることは、所論のとおりである。所論は、原判示第三の金地金(原判示第二の金地金については判断を要しない。)は純金か否かの証明はないというけれども陳子鵬に対する大蔵事務官の質問調書(謄本を含む)、(中略)によれば右金地金が純金であることは十分認められるから、右の所論は採用し難い。

そこで原判決の追徴額の算定の当否について考えてみるに、関税法一一八条二項によれば「犯罪貨物等を没収することができない場合………においてはその没収することができないもの………の犯罪が行われた時の価格に相当する金額を犯人から追徴す」べきものとされているのであるが、その趣旨は、追徴は犯罪貨物が没収することができない場合、それに代えて課されるものであるところその金額は没収物と等価値であるべきこと、その目的の面からみて単に犯人が現実に取得した不正の利益を剥奪せんとするに止まらず、むしろ国家が関税法規に違反する犯罪貨物またはこれに代るべき価格を犯人連帯の責任において納付せしめ、もつて違反行為の取締を厳に励行しようとするにあること(最高裁判所昭和三三年三月一三日、同三五年二月一八日各判決)等を考えると、右の追徴金額は現実になされた取引価格の如何に拘らず、犯罪の行われた当時において輸入貨物の有する客観的価値、すなわち当時の国内卸売価格を標準とするのが相当であると解する。(最高裁判所昭和三五年二月二七日決定)

ところでわが国産金が鉱山会社より国内消費に廻される場合(これを自由金ともいう)の価格はさきに認定したとおり公定価格ではないが政府の指導によつて一グラム六六〇円とされていること、そしてこれが配分を受けた第一次問屋ともいうべき石福、田中、徳力等二四社の大手金地金取扱業者はこれを板状あるいは細線等に加工して第二次問屋ともいうべき地金取扱業者に一グラム六七〇円から六八〇円で卸売され、さらにこれが小売される場合は一グラム六九〇円位となつていたのである。そうすると自由金としての金地金としては鉱山会社より第一次問屋に配分されるいわゆる山出し価格がその物の有する客観的価値に等しいものというべきであるから、それは本来の意味における卸売価格というよりはむしろ生産者価格ともいうべきものであるけれども、前記追徴の趣旨に照らし自由市場における通常の取引としての山出し価格を卸売価格と同視し、これを基準としてその追徴額を測るべきが相当であると解する。

したがつて、これに反する所論は採用することができない。所論は、一グラム六六〇円を基準とすることは独占禁止法三条に違反し許されないというけれども、右六六〇円の価格は政府の指導価格であつて、所論のように独占禁止法に違反する価格とは認められないのみならず、もともと独占禁止法は事業支配力の過度の集中を禁止し、自由な競争を促して企業活動の活発化と消費者の利益保護を目的とするもので前記追徴とはその趣旨、目的を異にするものであるから、右山出し価格を追徴額算定の基準としても何ら独占禁止法に反するところはない。又所論は、一グラム六六〇円を基準とすることは国際通貨基金協定四条にも違反すると主張する。なるほどわが国も同協定に加盟し、政府が買上げるべき金の価格は同協定四条の規定の制約をうけ一グラム四〇五円に拘束される(金管理法三条)ことは所論のとおりである。しかし政府が取上げるのは、これを対外決済の準備に充てることを目的とするもので、その量は僅か国内産金の五パーセントに過ぎず、しかも鉱山会社はその売渡しを義務づけられている(金管理法一条、三条一項)ものであつて、自由市場で取引におけるものとは同一に論ずることはできない。のみならず前記国際通貨基金協定は、国際為替の正常化を窮極の目的とするものであつて、前記追徴とはその趣旨目的を異にするものであるから、前記山出し価格を追徴額の基準とすることは何ら右協定にふれるものではない。

したがつて、原判決が本件追徴額の算定の基準を一グラム六六〇円としたことは相当であつて、原判決には所論のような法令の解釈適用の誤りはない。論旨は理由がない。

第三、以上要するに原判示第二事実についてはさきに説示したとおり原判決が同判示の金地金を密輸品であると認定したことには事実誤認があり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、爾余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条、三八二条により原判決中有罪部分を破棄したうえ同法四〇〇条但書にしたがいさらに次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

原判示第一事実及び第三事実のとおりであるから第三事実を第二事実と訂正してこれらを引用する。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は薬事法八四条二号、一二条一項に判示第二の所為は関税法一一二条三項(一一一条一項)に各該当するから前者については所定刑中罰金刑を後者については懲役及び罰金の併科刑をそれぞれ選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから懲役刑についてはその所定刑期範囲内で罰金刑については同法四八条二項によりその合算額以下で被告人を懲役六月及び罰金二〇万円に処し、同法二五条一項を適用して懲役刑については本裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予し、罰金を完納することができないときは同法一八条により金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し判示第二の金地金は没収することができないから関税法一一八条二項によりその価格三三〇万円を被告人から追徴し、訴訟費用中主文掲記の分は刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人の負担とする。

(無罪)

なお本件公訴事実中主文掲記の各事実(原判示第二事実)についてはすでに判断したとおりその犯罪の証明が十分でないから刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をすべきものである。

よって主文のとおり判決する。

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